日本・ポルトガル通商修好条約締結150周年記念イベントとして丸の内カフェ(千代田区丸の内3ー3ー1、新東京ビルヂング1F、フリースペース)で開催中の「PORTUGAL~Arte e Poesia」での私の作品展(6月1日~14日)およびポルトガルの旅の魅力を語り合う「トーク・セミナー」(6月30日、19時~)に連動して、昨年夏の私の旅行記をこちらに転載しました。現地の風景や美味しいものの写真、私の水彩画作品とともに、一緒に旅気分を楽しんで下さい。
フランクフルト経由でリスボンに到着したのは前日深夜、ホテルにチェックインしたのは日付が変わってからでしたので、私にとっては本日が「ポルトガル初日」になります。ちょっとゆっくり朝寝をして、とりあえずは短時間の市内観光コースに参加するのが良いだろうと、バイシャ・シアード(旧市街中心部)駅前にあるホテルから地下鉄で観光バスの集積地になっているポンバル侯爵広場(Parque Marques de Pombal)へ。ここでグレイラインの1.5hrsコースに参加し、市内の要所巡りに出発です。
広場からホテル近くの旧市街(バイシャ地区)を通って、テージョ川方面へ。コメルシオ広場を右折して、市西部(ベレン地区)に向かいます。ベレン地区には世界遺産のジェロニモス修道院をはじめ、ランドマークになっている開拓者のモニュメントや美術館・博物館が集中しています。
途中、San Franciscoの金門橋そっくりの吊橋(Ponte 25 de Abril)を見かけました。似ているのは当然。だって、同じ建設会社が「全長2,278mの欧州一長い吊橋」として1966年に建設したものだからです(=姉妹橋?)。
そしてバスはいよいよジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jeronimos)の近くに。その荘厳さと巨大さに絶句…。バスの中からではカメラのファインダーに収めるのは不可能な大きさなので、後日ゆっくり戻ってくる事にしました。この修道院はエンリケ航海王子がヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見を記念して礼拝堂(Igreja de Santa Maria)を中心に建立した修道院で、マヌエル様式の粋を集めたもの。完成までに300年以上かかったそうです。もしかして、私がこれまでの人生で見た建物の中で、単一の世界遺産建造物としては最大級かもしれません。
バスは再び市内中心部に戻り、市北部にある動物園や巨大ショッピングセンターなどを回って再びポンバル侯爵広場へ。ツアーを離れ、とりあえず広場の近くのレストランで遅いブランチ。名物・イワシの塩焼き=写真①=を頂きました。日本と全く同じ塩焼きですが、これをパンの上に載せてジャガイモなどと一緒に食べるのがポルトガル風。「ご飯が欲しい~」と思いながら、塩気で喉が渇いてコカコーラ・ライト缶を2本空けてしまいました。
再び地下鉄に乗って、旧市街へ。バスから見えた不思議な鉄塔(Elevador de Santa Justa)に向かいます。これは高低差の大きい旧市街と隣接する住宅地(Bairro Alto)をつなぐエレベータです。ケーブルカーや路面電車もあるし、地下鉄の駅のエスカレータがあるのでこれに乗らなくてもバイロ・アルトの人たちは高台に上がることが出来るので、今ではほぼ観光用です。エレベータは往復2.8ユーロ。でも私は市内の地下鉄、路面電車、ケーブルカーに乗り放題チケット(7 Colinas、5日間で19ユーロ)を買ったのでいちいち料金を払う必要はありません。
塔の上から市内をぐるり360度眺め、どこで絵を描こうか、太陽の当たる角度を見ながら考えます。美しい夕焼けを描こうと、バイシャの東側の高台を見ていたら、城壁のようなものを発見。そこに向かうべく、路面バスに乗ることにして、その前にこの塔を下から見上げる構図でササっとスケッチ。ポルトガルでの1枚目です。
何に乗って良いのか分からないので、ガイドブックに乗っていた風光明媚な場所の写真に写っていた路面電車の番号「28」に当たりをつけました。するとこれが大正解!最初はベレン方面に向かって走り出し、10分も走ると終点に。そこから折り返す路面電車に乗ると、バスは小路を抜けて、急な坂を上がり、自分が泊まっているホテル近くのカモンエス広場を横切りました。そして再びバイシャへの坂道を下りて旧市街を抜けると、今度はカテドラルや先程見つけた城壁の近くの公園を抜ける坂道を上がり始めます。アルファマ地区に差し掛かり、道はどんどん狭くなる中、路面電車は家の壁ギリギリをズンズン抜けて行きます。
グラサ地区の終点で再び折り返しの路面バスに乗り換え、今度こそ高台の城壁を目指します。見晴らしの良い公園がある高台の停車駅で降りて、石畳の急な坂道をさらに5分ほど登ると、そこにはサン・ジョルジュ城が。もう夕方6時過ぎになっていましたが、係員のおじさんに開園時間が21時までだと教えられ、入城料5ユーロを払って中へ。古代ローマ時代の砦を基礎に、5世紀の西ゴート族、9世紀のイスラムとムーア人、12世紀のレコンキスタの末のキリスト教徒、14-16世紀はポルトガル王家と代々城主が代わったこのお城はまさに「歴史のミルフィーユやぁ~」。
城壁の上を歩いてポジションを把握し、朝方に観たつり橋方向のテージョ川に落ちる夕陽=写真②をスケッチしました=写真③。
描き終えるとだいぶ薄暗くなってきたので、再び28番の路面電車に乗ってホテルに戻りました。夕飯はホテル近くのポルトガル料理レストランのトリンダーデへ。入り口で話しかけてきたイタリア人紳士(NINO)と一緒に店内へ。一緒のテーブルに着いておしゃべりしながら、タラの塩焼きとポテト(Bacalhau Assado)の夕飯です=写真④。NINOは英国で教育を受けた経営工学の教授だそうで、ブリティッシュ・イングリッシュを話すとてもインテリなおじいちゃん。イタリア好きの私とミラノやローマなどイタリア旅行の時の話が弾んだのでした。
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