日本に戻る時間が刻一刻と近づく中、ベニスそしてリッカルドとのお別れの時も近づいています。もう一度彼の笑顔を見たいけど、会えば別れはもっと辛くなってしまう。だから、リッカルドとの素敵すぎる思い出をそのままに、綺麗な箱にそっとしまっておきたい。ベニスの恋の魔法がとけてしまう前に、美しい記憶のまま胸の奥に閉じ込めて日本に帰りたい・・・。
「明日日本に戻るなら、その前に会いたい。今から夕方まで一緒にいられるし、夜だって店に来てくれれば、またその後も一緒にいられる。朝まで一緒にいよう。空港までは僕が送って行くから」
リッカルドの言葉に、もう会わないと決めていたはずの心がグラグラと揺り動かされます。
でも、最終日の「To Do List」の最優先項目には、この旅に出る前から決めていたことがありました。それは、カナルの対岸で夕陽を受けて輝く聖サルーテ教会の絵を描くこと。今回の旅の目的は、11年前に果たせなかったブラーノ島でのスケッチと、グランドカナル越しの夕暮れ風景描くことだったからです。
「あのね、リッカルド。今日は夕方に、どうしてもやらなくてはならないことがあるの。それはずっと前から決めていたことで、とても大切な用事なの。だから、今夜はお店にはいけない」
「じゃあせめて、その前に会おう。もうすぐ昼休みだから、会って話したい」
北イタリア随一の「粘り腰の軟派」(MINA総研調査)で知られるベネチア男の押しの強さには抗えません。このままでは話が堂々巡りするばかりなので、とりあえずいったん買い物した荷物を置くためにホテルに戻るから、また外に出る時に連絡すると伝えて電話を切りました。
部屋に戻り、買い物した荷物をトランクに収めながら、切なさで胸が張り裂けそうになりました。リッカルドの気持ちはありがたいし、私だって本当はもう一度会いたい・・・。
高ぶる気持ちをクールダウンさせようと顔を洗い、今度は画材を持ってホテルの部屋を出ました。
「今、この瞬間は辛いけど、もう一度会ったら、明日から彼に会えないことがもっと辛くなる。だからもう、リッカルドには会わない。電話にも出ない」
そう決めて、最後に描く夕日の絵の前にもう1枚、この美しい古都の絵をスケッチブックに収めようと、お絵描きポイントを探しに歩き出しました。
日常とは異なる世界での「偶然の出会い」は、目の前に広がる景色を何倍か美しく、特別なものに見せる「魔法」をかけるのでしょう。それだけに、旅の絵描きが出会った恋は、ロマンティックに燃え上がり・・・。
でもこの恋は消して成就することはないのです。だって魔法はいつかとけてしまうから。甘くて切ない想い出を心の奥にしまって、旅の絵描きは新しいスケッチブックと共に次の旅に向かうのです。
「これじゃ私、まるで『お絵描き寅さん』・・・だな」。
ふと思いついた面白フレーズに我ながらクスっとして、画材の入ったバッグを肩にかけ直しました。バッグの中で携帯がブルっと震えたような気がしましたが、そのまま石畳に歩を進めます。まだ高い太陽を映したカナルの水面が、キラキラ光って時折視界を遮ります。人込みをかき分けながらヴァポレットの停留所ひとつ分を歩き、フェニーチェ劇場に抜ける小路につながる橋を渡りかけた時でした。
「MINA!!」
右手前方から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、そちらに顔を向けようとした時に、温かい指先が右の頬に触れました。
「捕まえた!」
びっくりして顔を上げると、目の前にリッカルドの笑顔がありました。
「どうして・・・?」
リッカルドは私の右手を取ると、甲に軽くキスしました。
「そんな顔して・・・Princessはご機嫌斜めなのかな?電話しても出ないから、探しに来ちゃったよ」
そのまま橋の上でぎゅっとハグ&キスされて・・・もはや観念するしかありませんでした。もう会わないはずだったのに、もしかしてこれもまた「ベニスの恋の魔法」の仕業なのかもしれません。
手をつないで広場を突っ切ると、そのままドルソドゥーロへつながる大きな橋を渡りました。彼のお店のある方には向かわず、昨夜とは反対側の小径をゆっくりと歩き、木陰のベンチをみつけて腰掛けました。
「MINAに嫌われたのかと思った」
「違うの。東京に帰る前にあなたともう一度会ったら、お別れできなくなりそうで辛かったんだもの」
「でも、会いたかった・・・そして、やっぱり会えた!」
リッカルドの声は低くて優しく、つないだ彼の大きな手は温かく・・・。
カナルの水面を渡って来た風に吹かれながら、昨夜の話の続きをしました。家族のこと、仕事のこと、夢のこと・・・。会話が途絶えると互いの瞳をじっと見つめ合い、つないだ手をぎゅっと握り直しました。リッカルドの口が軽く開いて何かを言おうとした時、彼の携帯が鳴り出しました。グループ客が来て急に忙しくなったことを知らせる、お店からの電話でした。
「ごめん、戻らないと・・・」
「いいよ。一緒に行きましょう。その代わり、ビールを1杯ご馳走して。ビールを飲みながらお店のテラス席から眺めるカナルの絵を描きたいの。いいでしょ?」
「仰せのままに、Princess」
テラス席に陣取り、ビールを飲みながら、彼のお店から見えるカナル風景をスケッチしました。忙しく接客するリッカルドの視線や気配を間近に感じながら、小一時間で1枚仕上げました。思いがけない形で素敵なお別れができたような気がして、胸の奥につかえていたものがスーッと小さくなっていくのが分かりました。
「ねぇ、リッカルド、もうひとつだけお願いがあるんだけど・・・」
彼のお店の前で描いたスケッチを手にした私と、実際のカナル風景を一緒に収めた写真を撮ってもらいました。彼の目を通して見た私の記憶を、自分のスマホのカメラにも収めておきたかったからです。
「夕日の絵を描き終えたらまた、ここに戻ってくる?」
彼の問いには直接答えず、「Io vado. (行ってきます)」と言ってテラス席を離れました。ヴァポレットの乗り場に向かう橋を渡る手前で一度だけ振り返ると、私を見送っていたリッカルドは夕陽を受けてまぶしそうに目を細め、そして投げキスをくれました。「MINA、あとで電話する!」
ヴァポレットに乗って対岸のサンマルコ広場に渡り、夕陽の方角に向かって歩きました。オレンジ色の光りを浴びて輝くグランドカナルや大聖堂のクーポラの形を目に焼き付けながら、ホテルに戻り、そのままグランドカナルに面したバーの特等席に陣取りました。夕陽と同じ色をしたベリーニを注文すると、急ぎ足の夕陽に置いていかれないように、一気にペンでアウトラインを描き上げました。
水彩絵の具での色つけが始まった頃、ずっと私の事を気にしている様子だった男の子(お父さんとはイタリア語で話していました)とお父さんが私の横にやってきて、絵を近くで見せて欲しいと話しかけてきました。まだ途中ですがどうぞ、とスケッチブックを差し出すと、男の子が「Very nice!」と覚えたての英語で褒めてくれました。実はずっと二人が「お姉さんに英語で話しかけてみよう」と練習していたのが聞こえていたのが微笑ましくて・・・何だかとても幸せな気分になり、思わず笑顔になりました。
夕陽が沈みきる少し前に絵は完成し、ホテルの従業員の方も代わる代わる見に来ては感嘆の声を挙げて褒めてくれました。ちょうど良い具合のお腹も空いてきたので、そのまま特等席をディナーモードに切り替えてもらって、絵に描いた風景が闇に溶けていく様子を見ながら軽く夕飯を取って部屋に戻りました。
部屋で荷造りをしていると、日付が変わる頃にまた携帯がブルっと鳴りました。リッカルドからのメールでした。
「仕事が終わったら君の部屋に行こうと思っていたのに、従業員が熱を出して倒れてしまって、ベニス郊外の家まで車で送ることになった。本当にごめん。でも明日の朝は必ず迎えに行くから」
もはや「ベニスの魔法」もここまでか・・・?でも不思議と、喪失感や寂しさはありませんでした。思い出の風景をスケッチブックに収めて、思いがけず素敵なお別れが出来たつもりでいた私はとっくに、自力で空港まで戻る心づもりが出来ていたからです。
ところが・・・リッカルドは私との約束を気にしてくれていました。果たして、翌朝うーんと早くにリッカルドはホテルにやって来ました。
「本当に空港まで送ってくれるの?」
「もちろん」
サンマルコ広場駅から鉄道駅方面に向かうヴァポレットに乗り込みました。大きなトランクもリッカルドが運んでくれるので、私は楽チンです。
「Grazie! リッカルド、本当に助かるわ」
「Prego, MINA。でも何だか妙な気分だよ。だってこうやって君を迎えに来たのは、君を旅立たせるためなんだから・・・」
ゆったりとグランドカナルを往くヴァポレットに揺られながら、大好きな景色とリッカルドの笑顔を眺めていました。このまま時間が止まってしまえばいいのに・・・。サンマルコ広場から約30分間かけてサンタ・ルチア鉄道駅から3つ先の大型駐車場施設があるトロンシェットまで行き、そこからはリッカルドの車で空港まで送ってもらいました。トロンシェットから水上を真っ直ぐに走る道路を抜けると、メタリック・ブラックのオペル・アンタラはあっという間に「ごく普通の市街地」に入り、15分ぐらいで空港に到着しました。
「出発まで一緒にいられなくて、ごめん。仕事に行かないと・・・」
リッカルドは車からトランクを降ろすと、ギュッと抱きしめてくれました。チェックイン・カウンターの前にはもう長い行列ができています。私もすぐに列についた方が良さそうです。
「次はいつベニスに来る?また会えるよね」
「分からない。年末かもしれないし、来年かもしれないし・・・10年後かもしれない。でもきっとまたここに戻ってくるような気がする」
空港ロビーの滑らかなフロアの上でトランクを押して歩いていると、前日にベニスの石畳を歩いていた時に抱えていた胸の奥の痛みや重さが嘘のように軽くなっているのに気付きました。
もしかして、魔法にかかっていた間の全てが夢の中の出来事だったような気がして、慌ててバッグからスケッチブックを取り出して開いてみると・・・そこにはちゃんとこの数日間のベニスの思い出がしっかりと収められていました。夢のようだったけれど、夢ではなかったのです。
・・・リッカルド、本当に素敵な思い出をありがとう。ベニスの恋の魔法のおかげで、一生忘れられない旅になったよ。
(終わり)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
【お絵描き寅さん(!?) 「ベニスの恋」の巻、バックナンバーはこちら】
<第1話>ベニス4日目: 「恋の予感」(英語編の後ろに日本語があります)
<第2話>ベニス5日目: 「ロマンチックな夜」
<第3話>ベニス6日目: 「もう一度、会いたい」
「明日日本に戻るなら、その前に会いたい。今から夕方まで一緒にいられるし、夜だって店に来てくれれば、またその後も一緒にいられる。朝まで一緒にいよう。空港までは僕が送って行くから」
リッカルドの言葉に、もう会わないと決めていたはずの心がグラグラと揺り動かされます。
でも、最終日の「To Do List」の最優先項目には、この旅に出る前から決めていたことがありました。それは、カナルの対岸で夕陽を受けて輝く聖サルーテ教会の絵を描くこと。今回の旅の目的は、11年前に果たせなかったブラーノ島でのスケッチと、グランドカナル越しの夕暮れ風景描くことだったからです。
「あのね、リッカルド。今日は夕方に、どうしてもやらなくてはならないことがあるの。それはずっと前から決めていたことで、とても大切な用事なの。だから、今夜はお店にはいけない」
「じゃあせめて、その前に会おう。もうすぐ昼休みだから、会って話したい」
北イタリア随一の「粘り腰の軟派」(MINA総研調査)で知られるベネチア男の押しの強さには抗えません。このままでは話が堂々巡りするばかりなので、とりあえずいったん買い物した荷物を置くためにホテルに戻るから、また外に出る時に連絡すると伝えて電話を切りました。
部屋に戻り、買い物した荷物をトランクに収めながら、切なさで胸が張り裂けそうになりました。リッカルドの気持ちはありがたいし、私だって本当はもう一度会いたい・・・。
高ぶる気持ちをクールダウンさせようと顔を洗い、今度は画材を持ってホテルの部屋を出ました。
「今、この瞬間は辛いけど、もう一度会ったら、明日から彼に会えないことがもっと辛くなる。だからもう、リッカルドには会わない。電話にも出ない」
そう決めて、最後に描く夕日の絵の前にもう1枚、この美しい古都の絵をスケッチブックに収めようと、お絵描きポイントを探しに歩き出しました。
日常とは異なる世界での「偶然の出会い」は、目の前に広がる景色を何倍か美しく、特別なものに見せる「魔法」をかけるのでしょう。それだけに、旅の絵描きが出会った恋は、ロマンティックに燃え上がり・・・。
でもこの恋は消して成就することはないのです。だって魔法はいつかとけてしまうから。甘くて切ない想い出を心の奥にしまって、旅の絵描きは新しいスケッチブックと共に次の旅に向かうのです。
「これじゃ私、まるで『お絵描き寅さん』・・・だな」。
ふと思いついた面白フレーズに我ながらクスっとして、画材の入ったバッグを肩にかけ直しました。バッグの中で携帯がブルっと震えたような気がしましたが、そのまま石畳に歩を進めます。まだ高い太陽を映したカナルの水面が、キラキラ光って時折視界を遮ります。人込みをかき分けながらヴァポレットの停留所ひとつ分を歩き、フェニーチェ劇場に抜ける小路につながる橋を渡りかけた時でした。
右手前方から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、そちらに顔を向けようとした時に、温かい指先が右の頬に触れました。
「捕まえた!」
びっくりして顔を上げると、目の前にリッカルドの笑顔がありました。
「どうして・・・?」
リッカルドは私の右手を取ると、甲に軽くキスしました。
「そんな顔して・・・Princessはご機嫌斜めなのかな?電話しても出ないから、探しに来ちゃったよ」
そのまま橋の上でぎゅっとハグ&キスされて・・・もはや観念するしかありませんでした。もう会わないはずだったのに、もしかしてこれもまた「ベニスの恋の魔法」の仕業なのかもしれません。
手をつないで広場を突っ切ると、そのままドルソドゥーロへつながる大きな橋を渡りました。彼のお店のある方には向かわず、昨夜とは反対側の小径をゆっくりと歩き、木陰のベンチをみつけて腰掛けました。
「MINAに嫌われたのかと思った」
「違うの。東京に帰る前にあなたともう一度会ったら、お別れできなくなりそうで辛かったんだもの」
「でも、会いたかった・・・そして、やっぱり会えた!」
リッカルドの声は低くて優しく、つないだ彼の大きな手は温かく・・・。
カナルの水面を渡って来た風に吹かれながら、昨夜の話の続きをしました。家族のこと、仕事のこと、夢のこと・・・。会話が途絶えると互いの瞳をじっと見つめ合い、つないだ手をぎゅっと握り直しました。リッカルドの口が軽く開いて何かを言おうとした時、彼の携帯が鳴り出しました。グループ客が来て急に忙しくなったことを知らせる、お店からの電話でした。
「ごめん、戻らないと・・・」
「いいよ。一緒に行きましょう。その代わり、ビールを1杯ご馳走して。ビールを飲みながらお店のテラス席から眺めるカナルの絵を描きたいの。いいでしょ?」
「仰せのままに、Princess」
テラス席に陣取り、ビールを飲みながら、彼のお店から見えるカナル風景をスケッチしました。忙しく接客するリッカルドの視線や気配を間近に感じながら、小一時間で1枚仕上げました。思いがけない形で素敵なお別れができたような気がして、胸の奥につかえていたものがスーッと小さくなっていくのが分かりました。
「ねぇ、リッカルド、もうひとつだけお願いがあるんだけど・・・」
彼のお店の前で描いたスケッチを手にした私と、実際のカナル風景を一緒に収めた写真を撮ってもらいました。彼の目を通して見た私の記憶を、自分のスマホのカメラにも収めておきたかったからです。
「夕日の絵を描き終えたらまた、ここに戻ってくる?」
彼の問いには直接答えず、「Io vado. (行ってきます)」と言ってテラス席を離れました。ヴァポレットの乗り場に向かう橋を渡る手前で一度だけ振り返ると、私を見送っていたリッカルドは夕陽を受けてまぶしそうに目を細め、そして投げキスをくれました。「MINA、あとで電話する!」
ヴァポレットに乗って対岸のサンマルコ広場に渡り、夕陽の方角に向かって歩きました。オレンジ色の光りを浴びて輝くグランドカナルや大聖堂のクーポラの形を目に焼き付けながら、ホテルに戻り、そのままグランドカナルに面したバーの特等席に陣取りました。夕陽と同じ色をしたベリーニを注文すると、急ぎ足の夕陽に置いていかれないように、一気にペンでアウトラインを描き上げました。
水彩絵の具での色つけが始まった頃、ずっと私の事を気にしている様子だった男の子(お父さんとはイタリア語で話していました)とお父さんが私の横にやってきて、絵を近くで見せて欲しいと話しかけてきました。まだ途中ですがどうぞ、とスケッチブックを差し出すと、男の子が「Very nice!」と覚えたての英語で褒めてくれました。実はずっと二人が「お姉さんに英語で話しかけてみよう」と練習していたのが聞こえていたのが微笑ましくて・・・何だかとても幸せな気分になり、思わず笑顔になりました。
夕陽が沈みきる少し前に絵は完成し、ホテルの従業員の方も代わる代わる見に来ては感嘆の声を挙げて褒めてくれました。ちょうど良い具合のお腹も空いてきたので、そのまま特等席をディナーモードに切り替えてもらって、絵に描いた風景が闇に溶けていく様子を見ながら軽く夕飯を取って部屋に戻りました。
部屋で荷造りをしていると、日付が変わる頃にまた携帯がブルっと鳴りました。リッカルドからのメールでした。
「仕事が終わったら君の部屋に行こうと思っていたのに、従業員が熱を出して倒れてしまって、ベニス郊外の家まで車で送ることになった。本当にごめん。でも明日の朝は必ず迎えに行くから」
もはや「ベニスの魔法」もここまでか・・・?でも不思議と、喪失感や寂しさはありませんでした。思い出の風景をスケッチブックに収めて、思いがけず素敵なお別れが出来たつもりでいた私はとっくに、自力で空港まで戻る心づもりが出来ていたからです。
ところが・・・リッカルドは私との約束を気にしてくれていました。果たして、翌朝うーんと早くにリッカルドはホテルにやって来ました。
「本当に空港まで送ってくれるの?」
「もちろん」
サンマルコ広場駅から鉄道駅方面に向かうヴァポレットに乗り込みました。大きなトランクもリッカルドが運んでくれるので、私は楽チンです。
「Grazie! リッカルド、本当に助かるわ」
「Prego, MINA。でも何だか妙な気分だよ。だってこうやって君を迎えに来たのは、君を旅立たせるためなんだから・・・」
ゆったりとグランドカナルを往くヴァポレットに揺られながら、大好きな景色とリッカルドの笑顔を眺めていました。このまま時間が止まってしまえばいいのに・・・。サンマルコ広場から約30分間かけてサンタ・ルチア鉄道駅から3つ先の大型駐車場施設があるトロンシェットまで行き、そこからはリッカルドの車で空港まで送ってもらいました。トロンシェットから水上を真っ直ぐに走る道路を抜けると、メタリック・ブラックのオペル・アンタラはあっという間に「ごく普通の市街地」に入り、15分ぐらいで空港に到着しました。
「出発まで一緒にいられなくて、ごめん。仕事に行かないと・・・」
リッカルドは車からトランクを降ろすと、ギュッと抱きしめてくれました。チェックイン・カウンターの前にはもう長い行列ができています。私もすぐに列についた方が良さそうです。
「次はいつベニスに来る?また会えるよね」
「分からない。年末かもしれないし、来年かもしれないし・・・10年後かもしれない。でもきっとまたここに戻ってくるような気がする」
空港ロビーの滑らかなフロアの上でトランクを押して歩いていると、前日にベニスの石畳を歩いていた時に抱えていた胸の奥の痛みや重さが嘘のように軽くなっているのに気付きました。
もしかして、魔法にかかっていた間の全てが夢の中の出来事だったような気がして、慌ててバッグからスケッチブックを取り出して開いてみると・・・そこにはちゃんとこの数日間のベニスの思い出がしっかりと収められていました。夢のようだったけれど、夢ではなかったのです。
・・・リッカルド、本当に素敵な思い出をありがとう。ベニスの恋の魔法のおかげで、一生忘れられない旅になったよ。
(終わり)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
【お絵描き寅さん(!?) 「ベニスの恋」の巻、バックナンバーはこちら】
<第1話>ベニス4日目: 「恋の予感」(英語編の後ろに日本語があります)
<第2話>ベニス5日目: 「ロマンチックな夜」
<第3話>ベニス6日目: 「もう一度、会いたい」